top of page
概要

 

琴海は、琴湖と呼ばれた(*1)内海のほとりの地域です。



春は、水に映る桜になのはな、小舟が海をわたってゆく。

夏は、万華鏡のように光を返すみなも、ペーロン(*2)の鐘の音。

秋は、黄金に輝く稲と彼岸花、直売所にはとれたての野菜や牡蠣が並ぶ。

冬は、鏡のように澄みわたる湾、朝日がゆっくり染めてゆく。



人々は季節とともにあゆみ、

互いに支えあいながら日々をていねいに暮らしています。



人口13000人弱(2013年4月)。長崎市街へも佐世保へも車でおよそ一時間。

コンビニもスーパーもあるけれど、地域コミュニティ・伝統行事も今なお豊か。

九州ならではの暖かな気候に、森の育むおいしい空気、     

なにより琴湖が美しい。

 

ほどよく町、ほどよく田舎、

ヨカ(*3)とこどりの日本のふるさと、それが「きんかい」   

歴史

 

戦後、長浦村と村松村がひとつになり(*4)、昭和44年に琴海町が誕生。昭和40年代後半、車の普及による郊外の誕生でニュータウンが開発される。平成18年に長崎市に編入され、現在に至ります。

 

その昔、奈良に都があったころ、この地域は火の国(肥前の国)彼杵郡(そのぎぐん)のなかのいくつかの郷のひとつでした。郷人は半農半漁の暮らしをいとなみつつ、山城をもち自治をつづけていたと伝えられています。​

 

​1550年代末、戦国時代の荒波の中で湾沿岸の郷々は大村藩となったそうです。このころ、飢餓対策の甘藷栽培のため、空まで続く石積みの段々畑が作られました。この石積みはのちに上海にも輸出された地場ブランドの長浦スイカを栽培する土台にもなり、今もあちこちに跡を見ることができます。

 

明治の廃藩置県により長崎県西彼杵郡(にしそのぎぐん)村松村と長浦村に。大村湾文化圏の中、米麦豆甘藷をのせては行き、衣菓子金具をのせてはかえり、琴湖は行きかう舟で活気づいていました。尾戸半島でとれる甘い甘藷を目当てに、大阪・四国・熊本からも買い付け帆船団がやってきていたのだとか。

 

戦後、主要交通手段が船から車に変わるとともに、船の寄港は少なくなりましたが、真珠養殖、牡蠣養殖などの漁業、伝統行事のペーロンやボート・シーカヤック・水上スキーなどのスポーツを通して人々は海と親しみ、琴湖とともに暮らしています。

 



(*3)
九州の方言で「よい」という意味。 

 

(*1)
江戸後期の儒学者、頼山陽(ライサンヨウ)が漢詩の中で「琴の音のような波の音、湖のような穏やかな海」歌ったことからきたそうです。「きんこ」(琴湖)転じて「ことのうみ」(琴の湖)とも呼ばれていました。現在一般的には大村湾と呼ばれています。

 

(*2)
中国から伝わったという長崎伝統の船競漕。ひとつの艇におよそ30人ほど乗り込み、鐘と太鼓を打ち鳴らして櫂を漕ぎ、早さを競う。

(*4)

昭和34年に琴海村に。旧村松村子々川郷は時津町に編入となりました。

 

きんかいとは

ようこそいらっしゃいませ。

お越しいただきありがとうございます。

​ちいさなひとつの反抗、もしくは創造のはじまり。
地方が豊かで楽しくなることで、あらまほしい社会へ変わっていく。そのために、

​
「人と地域が、人と人とがつながれるための舞台をととのえよう」

地域独自の情報プラットフォームを創造すること、その「場」から人々の交流がはじまることを願ってこのサイトがうまれました。



地域の歴史、行事暦、アーカイブ、アクセス、関連リンク等が収録されています。ウェブ上の観光案内所となることをめざしています。

 

​* * *

 

都市では、すばらしく分業化されたサービスによりほぼ何でも手に入ります。

ごあいさつ と このサイトについて

 

経済活性化のための急速なグロバール化は今までになかったことでしょう。

けれど代償はいのち。​


お金と無関心によるあまりに多くの殺人。
たくさんの化学物質摂取や放射能による緩慢な変調。
社会的圧力による過労死や孤独死。

​すさまじいスピードでの生産と消費と廃棄。

めんどうな「考えること」を大きなものにあずけて、いつしか自分たちをも差し出す人々。

 

けれども権威の支配から遠くはなれた場所へ。

 

感覚をふたたびひらく。


朝日を浴びて、野菜が育つのをてつだって、水と光とエネルギーが巡るのを目撃する。
 

新緑の中、鳥たちの声を聞き、在り方の多様性とあるがままのリズムを学ぶ。

じいちゃんばあちゃんたちに手づくりの技と過去の物語を教わり、互いに分かちあい、次の世代へつなぐ。



いのちがめぐり、支えられ、輝き、去ってゆく。



だいじなものがぜんぶここあります。

 

* * *​​​

 

なつかしくて最先端。

だからここで、​つないでつくって。

かつて奪われていった人という富で

田舎を、地方を、ふたたびもっとオモシロくする。

琴湖のほとりから未来をよりわくわくする

より持続的な場所にすること。



いっしょに方法をさがしてくれたら嬉しいです。

 

​2013年夏至 

地域おこし協力隊  ひらいあんな​

https://www.facebook.com/Nagasakishi.Chiikiokoshiz​​

​​

琴湖のほとりのまち「きんかい」 き て み て み ん ね 琴海 の ご 案 内  since2013  

企画・管理 長崎市地域振興課/琴海行政センター

Copyright  地域おこし協力隊 ひらいあんな (2012~2015)

                                          

bottom of page